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鳥越少年が生まれ育ったのは、斜里町三井で知床連峰の斜里岳の麓です。
厳しい自然環境の中で酪農を営む父良夫、母冨子の男3人兄弟の次男として生まれました。
幼少の頃から元気な子で、小学校入学の頃から兄と一緒に牛の世話や、畑の手伝いをしていて、近所では親孝行な子だと評判でした。
わんぱくで、友達を連れて野球や野山を駆けめぐり、魚釣りなどして遊んでいました。 |
■ 鳥越良孝本人談
両親は一生懸命に働いていました。
私はその姿を見て、貧しい家ではあったが働けば人生を切り開ける、と小さい頃から思っていました。
父は子煩悩な人で、いつも将来の夢や、人生の歩み方を教えてくれました。
心に傷ついた苦い思い出があります。
それは私が小学校4年生の冬の時、担任の先生に「手が汚いな、カラスの手だ。教室にいる生徒に見せてみろ。」と言われ
見せ物の様に扱われたました。
私は小学校1年生から牛の世話をしていたので、冬は寒さで手がひび割れ真っ黒に見える。
「良く頑張っているね。」と誉めてくれると思っていたが先生から言われた言葉には大変なショックを受けた。
私は、教育者は生徒を平等に、そして頑張っている者には誉めてあげる。怠けている者には注意をして、やる気を起こさせることを教えてやるべきだと思っています。”今の先生は悪い”と言われているが、昔からそういう先生がいました。 |
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その後、斜里中学校で学び、陸上や柔道の選手として活躍していました。
夏場は畑仕事を手伝い、7kmの道のりを自転車で通い『根性の持ち主』と言われる。 |
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■ 鳥越良孝本人談
中学1年生の秋の時、農作業で腕にけがをし、包帯を巻き片腕で歩いていると、「生意気だ」と目上の2年生6人に集団暴行を受け、学校で大問題になりました。
下級生や弱い者を、殴ったり虐めたりしたら卑怯者な人間です。
いまもそのようなニュースを聞くたび、あの頃のことがよみがえり、なんとか学校・家庭・社会の三者が一体になって、そう
いことが解決できないものかと胸が痛んでいます。 |
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